千葉地方裁判所 昭和54年(行ウ)15号 判決 1985年10月30日
原告
宮川淑
被告
鈴木忠兵衛
被告
高橋国雄
右両名訴訟代理人
室山智保
主文
一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告鈴木忠兵衛は市川市に対し八億七七七二万円及びこれに対する昭和五四年一二月六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 被告高橋国雄は市川市に対し七億四六四八万円及びこれに対する昭和五四年一二月六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
3 訴訟費用は被告らの負担とする。
4 仮執行の宣言
二 本案前の答弁
(主位的答弁)
1 原告の訴えをいずれも却下する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
(予備的答弁)
1 原告の被告鈴木忠兵衛に対する訴えを却下する。
2 原告の被告高橋国雄に対する訴えのうち、昭和五二年一二月二五日以降昭和五三年九月一二日までの間に支給された給与に関する損害賠償請求の部分を却下する。
3 訴訟費用は原告の負担とする。
三 本案に対する答弁
主文同旨
第二 当事者の主張
一請求原因
1 原告は普通地方公共団体である市川市の住民であり、被告鈴木忠兵衛(以下「被告鈴木」という。)は昭和四九年一月三〇日から同五二年一二月一一日まで市川市の市長であつた者であり、被告髙橋国雄(以下「被告高橋」という。)は昭和五二年一二月二五日から市川市の市長に就任し(同五六年一二月二五日再任)現在に至つている。
2(一) 昭和五五年一月改正前の「市川市職員の勤務時間、休日、休暇等に関する条例」(昭和二六年六月二三日条例第三四号。以下「旧勤務条例」という。)二条一項は「職員の勤務時間は、休憩時間を除き、一週間について四四時間とする。」と定め、更に同条例三条一項は「市川市職員の執務時間は、午前八時三〇分から午後五時一五分までとする。但し、土曜日は午前八時三〇分から午後零時三〇分までとする。」と定めていた。右規定に従い一週間の執務時間の合計を算出すると、月曜日から金曜日までが一日につき八時間(旧勤務条例四条二ないし四項により、午後零時から同四五分までが無給の休憩時間となる。)、土曜日が四時間で合計四四時間となり、一週間の勤務時間四四時間と合致する。つまり、旧勤務条例では、「勤務時間」は、一週間の合計の「執務時間量」を示すものとして使われており、執務時間の体系とは別に一日当たりの勤務時間の割振り等を表わす勤務時間の体系があるわけではなく、したがつて、執務時間の短縮は、そのまま勤務時間の短縮となる。
(二) 被告鈴木は、昭和五〇年二月二五日、市長決裁において、市川市職員の執務時間を一年を通じて平日は午前九時から午後五時まで、土曜日は午前九時から午後零時までに短縮することを認め、その結果、職員の勤務時間は一週間について三九時間一五分となり、条例上の正規の勤務時間に四時間四五分の不足が生じた。
地方公務員法(以下「地公法」という。)二四条六項は「職員の給与、勤務時間その他の勤務条件は、条例で定める。」と明定し、勤務時間の条例化を命じている。したがつて、市職員の勤務時間を変更するには、条例改正の手続が必要であり、これを待たずに市長の決裁で勤務時間を短縮した被告鈴木の行為は違法である。
(三) 被告高橋は、右決裁書に助役として押印しているのであるから右違法行為の発生を知つていた。したがつて、その段階では決裁権者ではなかつたとしても、被告高橋自身が市長となつた昭和五二年一二月二五日以後の段階で直ちに条例に違反した市職員の勤務時間短縮を是正させなければならなかつたのに、何らの是正惜置を講ぜず、被告鈴木同様に違法状態を放置していた。
(四) 「市川市一般職員の給与に関する条例」(昭和二六年六月二三日条例第二二号。以下「給与条例」という。)は、その二条一項で「給料は、正規の勤務時間に対し、支給される報酬であつて」と定め、その一三条一項で職員が勤務しないときは「その勤務しないことにつき任命権者の承認のあつた場合を除くほか、その勤務しない一時間につき第二三条に規定する勤務一時間当たりの給与額を減額した給与を支給する。」と定めているが、右の任命権者の承認は、当然、条例に違反して許容されるべきものではない。
したがつて、被告両名は、前記のとおり違法に市職員の勤務時間を短縮してしまつた以上、短縮分につき給与の減額をしなければならないのに、正規の勤務時間分どおりの給与の支給を続けてきたもので、その支給は、地方自治法二〇四条三項、二〇四条の二、地公法二四条六項、二五条一項、旧勤務条例二条一項、三条一項及び給与条例二条一項、一三条一項等に違反する違法な公金の支出に当たる。
3 前記2記載の被告両名の不法行為により、市川市は次のとおり損害を被つた。
(一) 前掲給与条例一三条の規定及び同条例二三条「勤務一時間当たりの給与額は、給料の月額及びこれに対する調整手当の月額の合計額に一二を乗じ、その額を一週間の勤務時間に五二を乗じたもので除して得た額とする。」との規定によれば、勤務しない一時間について減額すべき給与額の計算式は次のとおりである。
(二) しかるに、原告は市職員個々人の具体的給与額等を知り得ないので右算式をそのまま用いることはできない。そこで、昭和四九年度から昭和五四年度までの各年度の市川市当初予算に計上された職員給料総額等に関する次の数値を用いる(但し、Cの職員数は、消防署勤務者を除く。)。
年度(昭和)
A(職員給料総額)
B(職員調整手当総額)
C(職員数)
四九
二一億一六七三万円
一億七三〇二万円
二〇〇〇人
五〇
三〇億七八二六万八〇〇〇円
二億五二七九万三〇〇〇円
二二九三人
五一
三六億六六六一万八〇〇〇円
三億一九五〇万一〇〇〇円
二三八九人
五二
四一億〇三六八万九〇〇〇円
三億三五八八万二〇〇〇円
二五八四人
五三
四九億七四一五万六〇〇〇円
四億〇六九九万三〇〇〇円
二七〇九人
五四
五四億一五六八万七〇〇〇円
四億四四八六万一〇〇〇円
二八七三人
前記3(一)の計算式を修正し、右A、B、Cの数値に基づき各年度における職員一人当たりの勤務しない一時間につき減額すべき平均給与額を次の算式で算出すると、昭和四九年度五〇〇円、昭和五〇年度六三四円、昭和五一年度七二九円、昭和五二年度七五〇円、昭和五三年度八六八円、昭和五四年度八九一円となる(この各数値を「D」とする。)。
そして、一週についての不足勤務時間を前述のとおり四時間四五分(四・七五時間、これを「E」とする。)とし、年間週数を三九週(休・祭日及び有給休暇二〇日を除いた。)として D×E×週数×C の算式により各年度毎に被告両名が賠償すべき勤務時間の違法短縮を原因とする違法支給給与総額を算出すると、次のとおりである。
被告鈴木(昭和五〇年二月二五日から昭和五二年一二月一一日分)
昭和四九年度分(四週分)
一九〇〇万円
昭和五〇年度分(三九週分)
二億六九二六万円
昭和五一年度分(三九週分)
三億二二五五万円
昭和五二年度分(二九週分)
二億六六九一万円
合計 八億七七七二万円
被告高橋(昭和五二年一二月二五日から昭和五四年九月一三日分)
昭和五二年度分(一〇週分)
九二〇四万円
昭和五三年度分(三九週分)
四億三五五九万円
昭和五四年度分(一八週分)
二億一八八五万円
合計 七億四六四八万円
以上は、原告が一応試算した市川市の損害額であるが、各年度の補正予算による給料、調整手当等の追加支給分は考慮していないため、現実の損害額は、右金額以上ではあつても、これを下回ることはあり得ない。
4 原告は、昭和五四年九月一三日、市川市監査委員に対し、被告両名の前記不法行為により市川市が被つた損害を補填するため必要な措置を講ずるよう求める旨の監査請求をしたが、同委員は、原告の請求を棄却する旨の監査結果を出し、同年一一月一五日これを原告に通知した。
よつて、原告は、地方自治法二四二条の二第一項四号に基づき、市川市に代位して、被告鈴木に対し八億七七七二万円及びこれに対する訴状送達の翌日である昭和五四年一二月六日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金並びに被告高橋に対し七億四六四八万円及びこれに対する右同年月日から右同率の遅延損害金をそれぞれ市川市に支払うことを求める。
二被告らの本案前の主張
1(一) 原告は、被告鈴木が昭和五〇年二月二五日に行つた決裁を指して「違法若しくは不当な公金の支出」(地方自治法二四二条一項)と主張するが、原告が監査請求をしたのは昭和五四年九月一三日であり、当該行為のあつた日又は終わつた日から一年以内に監査請求すべき旨を定めた同法同条二項に違反することが明らかである。
したがつて、原告の監査請求は不適法であり、本訴は適法な監査請求を前置したものではないから、訴訟要件を欠き不適法である(同法二四二条の二第一項参照)。
(二) 仮に右の主張が容れられないとすれば、地方自治法二四二条二項により、監査請求のあつた日から遡つた満一年に当たる日以降一年間に支給された公金の違法支出のみが同法二四二条の二第一項四号所定の住民訴訟における損害賠償の対象となるものと解すべきであるから、被告鈴木に対する請求についてはその全部が、また、被告高橋に対する請求については、同被告が市長に就任した日である昭和五二年一二月二五日から監査請求前満一年の前日である昭和五三年九月一二日までの間の支給給与に関する損害賠償請求部分が、いずれも訴訟要件を欠き不適法となる。
(三) 原告は、右監査請求期間徒過について地方自治法二四二条二項但書の「正当な理由」があつたと主張するが、昭和四九年一一月一一日から市役所の執務時間が午前九時から午後五時までとなることは同月中に市川市広報及び自治会等の掲示板に掲示したポスター或いは市役所の各窓口等により全市民に周知徹底させたから、原告を含む市川市民は同月に執務時間の変更を知つたものであり、原告に右「正当な理由」は存在しない。
2 市川市職員に対する給与の支給は、市川市財務規則、市川市行政組織規則、市川市事務決裁規程に基づき、人事課長が支出負担行為をし、支出命令を発する。即ち、職員に対する給与支給は人事課長の専決事項となつており、職員の遅刻早退時間を最終的に把握して給与の減額惜置をとるのも人事課長である。したがつて、原告の主張するような意味で給与の支給が違法な公金の支出に当たるとすれば、地方自治法二四二条の二第一項四号に基づきその損害賠償義務を負うのは人事課長の職にあつた職員であり、被告両名はその立場にないから、被告適格を有しない。
三被告らの本案前の主張に対する原告の反論
1 原告の監査請求期間不遵守については、地方自治法二四二条二項但書の「正当な理由」がある。
本件における被告らの違法行為は昭和五〇年二月二五日の決裁書に端を発するが、右決裁書は市の内部資料であつて原告ら住民はこれを入手、閲覧し得ない立場にあつた。原告が右決裁書を見たのは、本訴において被告らが書証として提出したときが最初であつた。
次に、昭和四九年一一月一日号の「広報いちかわ」(市川市の広報紙)は、執務時間が同月一一日から午前九時から午後五時までとなる旨知らせているが、これはいわゆる冬時間への移行を知らせたもので、冬時間は翌昭和五〇年二月末日をもつて終了する予定であつた。即ち、原告ら住民が右広報紙により知り得たのは、冬時間としての執務時間の変更であつて、昭和五〇年二月二五日の市長決裁による通年の執務時間については全く知らされていなかつた。また、右広報紙には土曜日の執務時間の変更については何も記されていないが、勤務時間の違法短縮は土曜日についても存在したのであるから、右広報紙による伝達は、その点でも原告ら住民が違法性を知るのに十分ではなかつた。
2 被告らには本訴の被告適格がある。
本件における違法行為は、条例の改正前に被告らが勤務時間の短縮を実施した点にあるのであつて、給与の支払段階にあるのではない。
給与に関する支出負担行為、不足勤務時間相当分の給与減額措置については人事課長の専決に委ねられていたとしても、市長が自らの責任で勤務時間の短縮を認めたことを知つていた補助機関である人事課長としては市長決裁に従つて不足勤務時間相当の給与減額措置をとらなかつたと考えられるが、地方自治法一五四条は普通地方公共団体の長に補助機関たる職員を指揮監督する権限を与えているから、被告鈴木は、市長として自らの決裁に関連した給与の支払に関し人事課長が違法行為をなしている場合はそれを是正させることが可能な立場にあつたにもかかわらず、これを怠つたものであり、右不作為は被告鈴木の違法行為に他ならない。
また、被告高橋も、被告鈴木の右決裁に当たつて助役として決裁書に押印したのであるから、違法行為の発生を知つていた。したがつて、被告高橋自身が市長となつた昭和五二年一二月二五日以後の段階で、直ちに、条例に違反した職員の勤務時間の短縮或いは人事課長の違法な給与の支払を是正させなければならなかつたのに、これを怠つたのであるから、これは被告高橋自身の違法行為である。
四請求原因に対する被告らの認否
1 請求原因の事実は認める。
2(一) 請求原因2(一)のうち、旧勤務条例の存在及び右条例に原告主張のような各規定が存在することは認めるが、右各規定の解釈に関する主張は争う。
(二) 請求原因2(二)のうち、被告鈴木が原告主張の年月日に決裁をしたこと、右決裁により開庁時刻が午前九時となつたこと、一般に勤務時間が条例事項であり、その変更には条例改正が必要なことは認めるが、被告鈴木の右決裁が執務時間の終了時刻を変更したことは否認し、右決裁により条例上定められた職員の勤務時間が不足したことは争う。
(三) 請求原因2(三)は争う。
(四) 請求原因2(四)のうち、前段の給与条例の存在及び右条例に原告主張の各規定が存在すること並びに右条例にいう任命権者の承認は条例に違反してはならないとの主張は認める。後段のうち、職員に対し正規の動務時間分どおりの給与支給が続けられていたことは認めるが、その余の事実は否認し、主張は争う。
3(一) 請求原因3(一)のうち、原告主張の給与条例の各規定の存在は認めるが、その余の主張は争う。
(二) 請求原因3(二)のうち、原告主張の各年度における市川市当初予算上の職員給料総額、職員調整手当総額、職員数は認めるが、その余の主張はすべて争う。
4 請求原因4の事実は認める。
五被告らの本案についての主張
1 被告鈴木の決裁には違法性がない。
旧勤務条例三条は本来「勤務時間」を規定したものであり、同条に「執務時間」と記載してあるのは、右条例制定時の立法者が「勤務時間」と「執務時間」の概念を混同していたことに由来する「勤務時間」の誤記である。このことは、(1)地公法二四条六項が「勤務時間」は必要的条例事項としているが「執務時間」は条例事項としていないこと、(2)市町村が勤務条例を制定する参考資料として国が作成した「市町村例規準則集」には「執務時間」なる用語は全く使用されていないこと、(3)地方自治法施行規程二九条は「都道府県庁の執務時間及び都道府県の職員の休暇及び休日等については、官庁の執務時間及び官吏の休暇及び休日等に関する規定を準用する」と規定するが、市町村に準用するとはされていないこと、(4)近隣各市の勤務条例には執務時間の規定がないこと、(5)昭和二六年に制定当時の旧勤務条例三条二項にも警察職員、消防職員の執務時間を例えば一週間五二時間とするというような規定があるが、警察職員の執務時間(市民の窓口利用時間)は本来終日であるべきもので条例によつて規制するという筋合のものではないし、一週間五二時間という規定の仕方も執務時間ではなく勤務時間を定めるためのものであるから、右条例における「執務時間」は明らかに「勤務時間」の誤記と認められること、以上の点からも察知できる。
被告鈴木は、右のとおり旧勤務条例三条は「勤務時間」を規定したものであるとの認識に立つて職員の「執務時間」を午前九時開始と市長決裁によつて定めたものであり、勤務時間を変更したものではないから、旧勤務条例に違反するものではないし、執務時間の制定、変更を市長決裁でなすことに他の何らの違法は存しない。
2 地方自治法二四二条の二第一項四号に基づき職員が損害賠償責任を負うのは、当該職員に故意又は重大な過失があつた場合に限られる。被告鈴木は、昭和五〇年二月二五日の決裁及びこれに先立つ昭和四九年一〇月一一日の決裁に当たり、起案者を含む人事課部門や法規担当の職員らに十分検討させ、執務時間短縮には全く違法性がないことの了承を得たうえで右各決裁に及んだものであるから、被告鈴木には故意はもとより過失はなく、まして重過失は皆無である。
被告高橋は右各市長決裁を行つた行為者ではなく、被告鈴木の市長辞任に伴つて昭和五二年一二月二五日市長に就任し、当時被告鈴木から事務引継を受けたに過ぎないものであつて、なんら違法性の認識も故意又は重大な過失もない。なお、被告高橋は被告鈴木の右各決裁当時助役としてこれに関与していたが、被告鈴木について述べたと同様、法知識に長けた専門職員の緻密な調査研究を踏まえて被告鈴木に決裁を仰いだものであり、この段階においても被告高橋は助役として細心の注意義務を尽くしている。
3 前記1に述べた旧勤務条例三条が勤務時間の割振りを規定したものであり執務時間は市長の合理的裁量で定められるとの解釈は、従来から市川市の人事課でとられていたものであり、冬時間帯として執務時間を三〇分短縮する慣例は昭和三一年ころから毎年実施されていた。本件で問題とされている被告鈴木の決裁は、職員組合の勤務時間短縮要求に端を発するものであるが、市当局は、勤務時間は条例に基づくもので市長裁量では変更できないが執務時間は市長裁量で変更可能であるとの認識を持つて組合との交渉に臨み、各種交通機関の混雑から開放することにより職員の福祉と健康及び知性の向上を図り、かつこれによつて市民サービスを高揚せしめるため、市長裁量により昭和四九年一一月一一日から実施されていた午前九時開庁の冬時間帯を通年化させることとしたのである。
仮に、被告鈴木の決裁によつて執務の開始時刻を午前九時にしたことが、三〇分以内の遅刻は遅刻扱いにしないという取扱いをしたことを意味するとしても、これは官庁における出勤猶予時間又は出勤薄整理時間に該当し、給与の減額対象とはならないものと理解することができるから、被告らには右三〇分間についての賠償責任はない。
4 仮に、被告らに損害賠償義務があるとしても、その賠償金額は職員個々人についてその不足勤務時間及び違法支給給与額を特定しなければ算定できないと解すべきところ、原告はこの点について何ら主張立証しない。職員個々人の給与額にはもとより格差があるし、遅刻早退時間も一律ではない。因みに、被告鈴木の決裁による午前九時開庁が可能なように、職員は少なくとも一五分間の準備時間を見込んで、殆どが午前八時四五分までに登庁していたし、退庁したのは平日午後五時一五分、土曜日午後零時一五分を過ぎていたものであるから、旧勤務条例上生ずる遅刻早退は仮にあつたとしてもその人員及び時間は微々たるものである。
更に、旧勤務条例三条による勤務体制をとつているのは、市役所本庁及び行徳支所、大柏出張所の職員のみである。現業職員及び外部施設の職員は、その職種に応じて右勤務時間以上の実質的勤務を提供してきた。例えば、清掃工場、下水道部都市排水課、市立図書館、公民館、市民会館、勤労福祉会館、市川市市民体育館等の職場に勤務する職員は、二交替制勤務を始めとする変則的勤務を実施しており、旧勤務条例三条の適用を受けないし、執務時間が本庁と全く異なるから被告鈴木の決裁によつて勤務時間、執務時間に影響を受けない。以上のような特殊な勤務時間、執務時間のもとで勤務する職員は、昭和五三年一〇月一日現在で計一〇四〇名に及ぶ。
5 被告鈴木の市長決裁の後も、被告らに対して執務時間の変更及びその継続について市民からも議会からも何らの苦情もなく、執務時間の変更後における職員に対する給与の予算及び決算についても適法に市議会の議決を経て監査委員の承認を受けている。このように多年平隠公然に行政事務は遂行されてきたものであり、本訴請求の被代位者である市川市自体は全く被害者意識を持たない。原告の本訴請求は住民訴訟制度の趣旨を逸脱したものであり、天文学的高額の請求をつきつけて高橋現市長を惑乱に追い込み、その行政事務処理を阻害するものであつて、その影響は市職員全体の行政のダイナミックス性を萎縮せしめ市民サービスの低下をきたしている。
市川市にとつての損害これより大なるはない。住民訴訟は地方公共団体に害意を持つて公金を費消する職員或いは私腹を肥やす職員に対して提起すべきものであり、原告の本訴請求は権利の濫用である。
また、原告が執務時間の短縮を違法であると思料したならば、直ちに市川市の執行機関にその旨を伝えるか、市川市が設置している市民相談室等の苦情処理機関に申し出ていれば、その時点で市は条例改正その他改善措置を講じたはずである。しかるに、原告が昭和四九年一一月一一日の執務時間短縮から四年一〇か月これを放置して、原告算定の損害額が一六億二四二〇万円になるに及んで監査請求をし本訴に及んだのは、民法一条に基づく権利失効の理論からも是認できない。
六被告らの本案についての主張に対する原告の反論
1 被告らは、昭和五〇年二月二五日の被告鈴木の決裁は執務時間を短縮したのみであると主張するが、右決裁は、決裁書に件名として明記されているとおり、職員組合の勤務条件短縮要求に応じて勤務時間の短縮を行うことを市長として決めたものであり、それが週休二日制の検討との関連の中でとられた措置であつたことからしても、勤務時間の短縮を意図したものであることは明白である。
2 地公法二四条六項が定める勤務条件条例主義は地方自治の根幹をなす大原則であり、市長の被告らがそれを知らないはずはない。しかるに、国家公務員の勤務時間は一週間につき四四時間、近隣諸市の職員のそれは一週間につき四二ないし四四時間であるのに、被告らが実施した一週間につき三九時間一五分という短い勤務時間では他との権衡を失するため(地公法二四条五項参照)、公にできず、条例化できなかつたのである。仮に、週休二日制を実施するまでの暫定措置の積りであつたとしても、その間の特例措置を条例或いは規則で定められたはずであるし、また、そうしなければ勤務時間の短縮は実施できないのである。どのような観点からしても、被告らの違法行為は故意によるものと断定する他ない。
3 仮に、被告らが主張するように執務時間の終了時刻を平日は午後五時、土曜日は午後零時とする慣行が従来からあつたとしても、被告らが市長に就任した段階で条例上の執務時間に合わせて慣行を改め、条例どおりの執務時間を職員に遵守させる義務(地方自治法一五四条)があつたのに、これを怠り、右慣行を慢然と黙許したのは義務の不履行という他ない。
4 勤務時間短縮の適用範囲に関する被告らの主張は失当である。市川市職員の勤務時間に関する条例は旧勤務条例のみしか存在せず、これによれば、消防署勤務者を除いて他のすべての一般職の職員に右条例が適用されていたのであり、昭和五〇年二月二五日の被告鈴木の決裁は一般職の職員に関して職場による区別などを一切せずに一律に勤務時間の短縮を認めたものとなつている。
5 被告らの権利濫用の主張は失当である。まず、市民や議会から何の異論もなかつたというが、一般市民は職員の勤務時間が条例改正もなされずに短縮されたと考えるはずがないのは当然であり、議会がこれを問題視しなかつたのは迂闊であつたか或いは違法であることを承知で見逃がしていたかに他ならない。被告らは勤務条件条例主義を定めた地公法二四条六項に明らかに違反し故意に脱法行為を犯しておきながら、反省をするどころか、あたかも原告に非があるかのような主張をするが、原告は地方自治法が住民に保障している訴権に基づき違法行為の是正を目的として本訴を提起したのであつて、これをもつて権利の濫用等と言われる筋合はない。
第三 証拠<省略>
理由
一被告らの本案前の主張について判断する。
1被告適格の有無について
(一) 地方自治法によれば、地方公共団体の長は、予算の執行、財産の管理処分事務等を担任し(一四九条二号、六号、二二〇条一項)、支出命令権限を有するが(二三二条の四第一項)、その権限を下部職員に委任することも可能であり(一五三条一項)、<証拠>によれば、市川市においては、市川市事務決裁規程(昭和四七年二月七日訓令第一号)、市川市財務規則(昭和三九年五月一五日規則第一三号)五二条、五六条、市川市行政組織規則(昭和四九年一〇月一九日規則第三四号)六条により職員の給与に関する支出負担行為者は職員の給与に関する事務を主掌する人事課長であり、右に関する支出命令についても市長から人事課長にその事務が委任されていることが認められる。したがつて、職員の給与支給について支出負担行為をなし支出命令を発するのは市長ではなく受任専決権者である人事課長であるから、職員に対する具体的な給与支給をもつて違法な公金支出等地方自治法二四二条一項所定の財務会計行為に該当するとして同法二四二条の二第一項四号に基づき損害賠償請求訴訟を提起するには、人事課長たる職員を被告とすべきであり、本訴の被告らは被告適格を欠くこととなろう。
(二) しかし、本訴において原告が主張するところは、要するに、被告鈴木が市長決裁によつて職員の勤務時間を違法に短縮したこと並びに被告鈴木及び被告高橋が右の違法につき何らかの是正措置を講じなかつたことという被告らの行為そのものを取り上げて、それが地方自治法二四二条一項所定の違法な公金の支出等の財務会計上の行為に当たるというものであるから、右主張との関係では被告らに被告適格がないということはできず、この点の被告らの主張は採用することができない。
2監査請求前置について
(一) 原告が職員の勤務時間を短縮したものと主張する被告鈴木の決裁が昭和五〇年二月二五日になされたこと及び原告が市川市監査委員に監査請求をしたのが昭和五四年九月一三日であることは、当事者間に争いがなく、右決裁を地方自治法二四二条一項所定の違法又は不当な財務会計行為と把えるなら、原告の監査請求は同法同条二項本文に定める一年の期間を経過した後になされたことが明らかである。
(二) 原告は、右の監査請求期間の経過については地方自治法二四二条二項但書の「正当な理由」があると主張するので、この点について検討する。
<証拠>によると、月一回定期的に発行されていた市川市の広報紙「広報いちかわ」の昭和四九年一一月一日号に、「市川市役所の執務時間が同年一一月一一日からは午前九時から午後五時までとなる」旨の記事が掲載されていること、右「広報いちかわ」は各自治会長を通じて自治会に加入していた市内の各家庭に配布されていたこと、当時自治会への加入率は九〇パーセント余りで原告もこれに加入していたこと、昭和四九年一一月ころ市川市庶務課が作成した右同内容の市役所の執務時間を知らせるポスターが各自治会の掲示板に掲示されたこと、昭和四九年一一月二〇日付市川市公報第三九四号には、市川市達第二号として同年一〇月三一日付市川市長名で、同年一一月一一日から執務時間の開始を午前九時からと変更する旨公告されたことが認められる。しかし、右公報紙等は、土曜日の執務終了時刻には触れるところがないし、それらは、後述のように、単に昭和四九年一一月から実施される冬時間帯への移行を市民に知らせるためのものにすぎず、右冬時間帯が終わるころに行われた被告鈴木の決裁を公示したものではない。そして、他に被告鈴木の右決裁の内容を市民に周知させるため何らかの措置がとられたと認めるべき証拠はない。
もつとも、右決裁の結果、昭和五〇年は、例年冬時間帯が終わる時期以降も午前九時執務開始が継続されるのであるから、市民は早晩、市役所の執務時間が一年を通じて短縮変更されたことを知り得たはずである。しかし、後述のとおり、勤務時間と執務時間は本来異なる概念であり、両者は相互に全く無関係ではあり得ないが、その関係を一義的に決することはできず、執務時間が短縮されたとしてもそれが勤務時間にいかなる影響を与えるかは、諸般の事情を考慮したうえで判断しなければならない事柄である。したがつて、市民が執務時間の短縮を知り又は知り得たとしても、そのことが直ちに原告が違法事由として主張する勤務時間の短縮を知り又は知り得たことを意味するものではないし、被告鈴木の右決裁がなされた経緯等その意義を理解するのに必要な事実関係についても、原告が監査請求をした昭和五四年九月一三日から一年前までに、原告を含む市民がこれを容易に知り得たことを推認させるような事情は認めるに足りない。そして、成立に争いのない甲第一号証によると、原告の右監査請求書には被告鈴木の決裁文書(乙第三号証)の一部が添付されており、原告は監査請求をした時点では右決裁の存在そのものは知つていたと認めるほかないが、原告が監査請求の一年以上前から右決裁の存在を知つていたとまでは認め難く、弁論の全趣旨に照らせば、けつきよく、原告は前記の監査請求の前一年以内の時期になつてその主張の違法事実の存在を認識するに至つたものであり、諸般の事情に照らすと、このことには無理からぬものがあつたと認めるほかはない。
右のとおりであるから、原告が地方自治法二四二条二項本文に定める監査請求期間を経過させたことについては、同条同項但書の「正当な理由」があつたと認めるのが相当である。
(三) 被告らが、右決裁の結果生じた違法を是正しなかつたとする、原告主張の違法行為についても、前同様に期間の徒過が問題となる部分があるわけであるが、右違法事由も被告鈴木の右決裁が勤務時間を短縮したことを前提とするもので、けつきよく右決裁の解釈を抜きにしてその違法性を論じることはできないから、「正当な理由」の存否の判断に当たつては右決裁の存在及び意義を原告を含む市民が所定の期間内に容易に知り得たか否かを検討せねばならないというべきであり、その結論は右(二)に述べたところに帰着する。
(四) なお、被告らは、地方自治法二四二条二項により監査請求のあつた日から遡つた満一年に当たる日以降一年間に支給された公金の違法支出のみが住民訴訟における損害賠償の対象となり、右の日の前の支出分については訴訟要件がないとも主張する。しかし、本訴における原告の主張は、個々の給与の支給等の公金の具体的支出を把えてそれ自体を違法な公金支出とする趣旨にとどまるものでないことは、前に説示したとおりであるから、被告らの右主張もまた失当である。
よつて、本訴が適法な監査請求の前置に欠ける等とする被告らの主張も採用することができない。
二請求原因1(当事者)及び同4(監査請求前置)の事実は当事者間に争いがなく、右監査請求が適法であることは前述のとおりである。
三請求原因2の事実(被告らの違法行為)について判断する。
1本件においては、旧勤務条例において市川市職員の勤務時間がどのように規定されていたのかにつき、原告と被告らとの間に争いがあり、これが延いて被告鈴木のした市長決裁の意味内容及び効果についての考え方に影響を及ぼすこととなるので、まず旧勤務条例における勤務時間の定めを検討しておく。
(一) 地公法二四条六項は、職員の勤務時間は条例で定める旨規定し、<証拠>によれば、これを受けて、旧勤務条例二条は(一週間の勤務時間)との標題のもと、一項本文において「職員の勤務時間は、休憩時間を除き、一週間について四四時間とする。」と、二項において「前項に規定する勤務時間の割振については、月曜日から土曜日までの間において任命権者が定める。ただし、特殊の勤務に従事する者についてはこの限りでない。」とそれぞれ規定する。また、同条例三条には(執務時間)との標題が付され、その一項は「市川市職員の執務時間は、午前八時三〇分から午後五時一五分までとする。但し、土曜日は午前八時三〇分から午後零時三〇分までとする。」と、その二項は「夏期その他特に必要と認めるときは任命権者は、前項に規定する執務時間を繰り上げ又は繰り下げることができる。」とそれぞれ規定する(旧勤務条例の存在の点は、当事者間に争いがない。)。したがつて、旧勤務条例の右各規定をその文言どおりに解釈するならば、二条一項本文は一週間当たりの勤務時間を定め、同条二項は一日当たりの勤務時間の割振りを定める権限を任命権者に委任したものであり、三条一項は平日及び土曜日における執務時間を定め、二項は一定の場合任命権者の裁量で一項所定の執務時間を変更できることを定めたものとみられる。
ところで、一般に、地方公務員の執務時間とは、住民サービスの窓口時間(いわゆるオフィス・アワー)をいうと解されるが、地公法上も執務時間の定めは必要的条例事項とはされていない反面、警察・消防関係の窓口時間は性質上二四時間と解すべきものである。これに対し、勤務時間は、公務員が国又は地方公共団体のために役務を提供すべき時間であり、執務時間の前後における準備時間ないし整理時間をも含むものであつて、公務員は勤務時間につき職務専念義務を負い上級職員の指揮命令に服すべきことを要求されている。そして、勤務時間について条例主義が採られていることは前記のとおりであるが、地公法、労働基準法の趣旨からしても、また、旧勤務条例及び成立に争いのない乙第二号証の給与条例における「正規の勤務時間」なる概念との関連からしても、地方公務員については条例又はその委任規定に基づく下位法規等により一週間の勤務時間のほか一日当たりの勤務時間(勤務時間の割振り)を原則として八時間以内の範囲で定めることが法律上要求されていると解される。
このような観点から、旧勤務条例の前示の文言解釈を見直してみると、同条例三条の「執務時間」の用語を右のように厳密に区別された概念で受けとつてよいのかどうか、疑問が生ずる。
(二) 右のほか、<証拠>によつて認められる制定当初における旧勤務条例において既に「勤務時間」と「執務時間」の用語の混淆が明らかに認められること、<証拠>によつて認められる自治省配布の条例モデル及びこれに倣つた千葉県下各市の職員の勤務時間に関する条例、規則、訓令において執務時間についての規定は全く見出せないこと(なお、前掲乙第一八号証と右自治省の条例モデルを対比すると、元来、旧勤務条例は右モデルを模したものではなく、休憩時間及び休息時間を「執務時間」の間におくと規定するなども用語として異例のものがあることが認められる。)、前記のとおり旧勤務条例二条二項では一日当たりの勤務時間の割振りを任命権者に委ねているが証人鈴木賢次の証言によると市川市においては右の割振りを定めた規則等が制定・発令されたことがないこと等の諸事実に鑑みれば、旧勤務条例三条の「執務時間」にも概念・用語の混同があると言わざるをえず、これを可能な限り合法的かつ合理的に解釈するならば、右三条一項は、一つには勤務時間の一日当たりの割振りを定めたものであり、同時に(勤務時間と執務時間の前記の違いにつき十分な吟味を加えないままに)執務時間についての大綱をも示したものと見るべきであり、かつ、同条二項は右のうち執務時間の変更につき任命権者に大幅な裁量権を与えた趣旨であると解するのが相当である。
右のとおりで、旧勤務条例は、執務時間と勤務時間とが常に等しくなるように規定した趣旨とは解されないのであり、市長に執務時間を勤務時間の割振りとは別異に変更することのできる裁量権の行使を認めていると解されるのである。
2(一) そこで、被告鈴木のした市長決裁に至る経緯及びその後における市川市職員の勤務の情況について検討する。
以上に認定した各事実のほか、<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。
(1) 旧勤務条例上は、その文言に従えば執務時間は午前八時三〇分から午後五時一五分(土曜日は午後零時三〇分)までであつたが、市川市役所(本庁のほか支所、出張所を含む。)では、遅くとも昭和二六年の旧勤務条例制定当時から、通常執務時間の開始時刻(以下「開庁時刻」ということがある。)は午前八時三〇分とし、執務時間の終了時刻(以下「閉庁時刻」ということがある。)は平日は午後五時、土曜日は午後零時とすることが慣行化していた。また、旧勤務条例では、休憩時間は平日の午後零時から午後零時四五分までとされ(四条二項、三項、三条一項本文)、休憩時間は午前一〇時から一五分間と午後三時から一五分間とされていたが(五条二項)、右休息時間を平日は午後零時四五分から午後一時までと午後五時から午後五時一五分までに、土曜日は午後零時から午後零時一五分までにそれぞれ事実上移動させる運用も同様に慣行化していた。そして、市役所勤務の職員は、登庁は午前八時三〇分までにしていたが、退庁については、平日は午後五時の、土曜日は午後零時の閉庁時刻になると、残務整理が済み次第退庁することが事実上容認され、午後五時(平日)又は午後零時(土曜日)以降に退庁する限りは午後五時一五分(平日)又は午後零時三〇分(土曜日)以前であつても早退扱いになることはなかつた。
(2) 昭和三一年ころ、庁舎の光熱費等の経費節減や長距離通勤の職員の健康管理等への配慮から、一一月ころから翌年二月末ころまでの間、冬時間帯(又は冬季執務時間)と称して平日の閉庁時刻を午後四時三〇分に繰り上げる運用(開庁時刻及び土曜日の閉庁時刻は不変。)が始まり、職員は冬時間帯実施中は午後四時三〇分が過ぎると退庁することが認められるようになつた。冬時間帯制度は、その後昭和四八年度まで毎年継続されてきたが、平常の執務時間から冬時間帯へ、また、冬時間帯から平常の執務時間帯へそれぞれ移行する際には、その都度広報紙などを通じて市民に執務時間の変更を知らせていた。
(3) 前記の旧勤務条例二条、三条の解釈に関する問題点については、昭和三〇年代後半ころから、職員の給与、勤務時間その他の勤務条件に関する事務を分掌する人事課の内部で意識されるようになり、執務時間が必要的条例事項ではなく、二条二項に基づく勤務時間の割振りを定めた規則等が制定されていなかつたことなどから、三条一項にある「執務時間」の定めは勤務時間の割振りを定めたものと解釈すべきであるとの見解も成立するようになつた。しかし、この問題を公式の場に出して条例改正の手続をとろうとする動きは出ず、人事課内部においても、なお、勤務時間と執務時間の相違が必ずしも明確に意識されず、時には両者を同義であるかのように扱う傾向が続いていた。
(4) 昭和四九年ころ、市川市の職員組合は勤務時間の短縮と週休二日制の導入を要求して市当局(人事課)と交渉を重ねていた。右交渉の過程で、将来週休二日制を実施することについては双方が基本的合意に達したが、その具体的実現には更に細部に亘る意見調整や諸諸の調査研究等が必要であり、近々に実現することはなお困難な状況にあつた。一方、右のような交渉の中で、職員組合から昭和四九年度の冬時間帯は従前のように閉庁時刻を繰り上げるよりむしろ開庁時刻を三〇分繰り下げるよう要望があり、市当局もこれを容れて内部決裁を経たうえ、昭和四九年一〇月三一日付市川市達第二号をもつて市川市長被告鈴木名で同年一一月一一日から執務時間の開始時刻を午前九時とする旨の達を発して市川市公報に公示するとともに、広報紙等で市役所の執務時間が同年一一月一一日から午前九時ないし午後五時となる旨を市民に周知させる手段をとつた。これにより、同年一一月一一日から市役所の開庁時刻は午前九時となり、職員は右時刻までに登庁すれば遅刻扱いとはならなかつたが、閉庁時刻は従前通り平日午後五時、土曜日午後零時で変化はなかつた。
(5) 例年冬時間帯は翌年二月末ころに終了し以後平常の執務時間に戻るのであるが、職員組合は昭和四九年度の冬時間帯実施後、先の勤務時間短縮要求に関連して午前九時開庁の通年実施を市当局との交渉の席で要望した。当時組合との交渉に当たつていた市当局者(人事課長、人事課労務管理係長ら)は、従来人事課内部でとられていた旧勤務条例三条一項は勤務時間の割振りを定めたものであるとの解釈を踏襲し、執務時間は市長の裁量で設定できるとの見解に立つていた。そこで、条例上は勤務時間の開始時刻は午前八時三〇分となつており条例改正によらずにこれを変更することはできないが、従前から行われていた冬時間帯の例もあり、執務時間を変更することは市長の裁量で可能であると考え、また、千葉市、船橋市など近隣自治体が当時午前九時開庁を実施していたことなども参考にして、週休二日制導入に伴う旧勤務条例等の大幅改正までの暫定的措置として、午前九時開庁を通年実施する旨の執務時間の改訂を受諾した(但し、これについて地公法五五条九項の書面協定が締結されたのかどうかは明らかではない。)。このような経過で、人事課労務管理係長は、昭和四九年一一月一一日から実施されていた午前九時開庁を運用として継続したい旨の起案文書を作成し、人事課長、総務部長、助役(被告高橋)の承認を経て最終的に昭和五〇年二月二五日被告鈴木が市長としてこれを承認決裁した(右年月日に被告鈴木が開庁時刻を午前九時とする旨の決裁をしたことは当事者間に争いがない。以下、右の被告鈴木の決裁を「鈴木決裁」という。なお、右決裁文書(乙第三号証)においても、前に指摘した執務時間と勤務時間の区別を明確にしておらず両者を混同していると見ざるを得ないが、旧勤務条例の文言が従前のままであつたのであるから、やむを得ない誤用というべきであり、この点を斟酌しつつ前記の交渉経過を踏まえて吟味するときは、右文書の趣旨とするところが執務時間の変更(同年の冬時間帯の継続)にあることは明らかである。)。
ところで、昭和四九年一一月一一日から実施されていた午前九時開庁制度は、一応従前の冬時間帯の修正として実施されたものであるから、内部的には翌昭和五〇年二月末日までの措置であると認識されていたが、前述のように対外的には特に終期を示さずに公示、広報されていたので、鈴木決裁の内容を改めて広報するなどの措置はとられなかつたけれども、人事当局者は職員に対しては鈴木決裁が勤務時間の短縮を意味するものでないことを徹底させて誤解を生じないように努めた。そして、鈴木決裁以降の職員の勤務実態は昭和四九年一一月一一日以降と同様であり、午前九時の開庁(窓口開始)に間に合うよう準備時間を見込んで早めに登庁し(本庁では午前八時四五分ころまでに過半数の職員が登庁していたし、住民の希望に応じて午前九時より前に窓口を開いて応待することもあつた。)、終業時は従来どおり平日は午後五時、土曜日は午後零時を過ぎると残務整理が終わり次第逐次退庁していた。
(6) その後、昭和五〇年四月、市の関係各部署の管理職及び職員組合代表者により構成された週休二日制調査検討会が発足し、その検討結果が市長に答申されたりしたものの、週休二日制の実施にまでは至らず、このため右制度実施に伴う条例改正までの暫定的措置として始められた鈴木決裁による午前九時開庁制度もそのまま継続され、昭和五二年一二月二五日に被告高橋が市長に就任した後も同様で、職員の登退庁の勤務情況の実態も変わらなかつたが、これについて市内部や市議会等で問題となつたことはなく、市民からの苦情や異議の申立て等もなかつた。
ところが、昭和五四年九月に至つて、原告が本訴とほぼ同趣旨の監査請求を申し立て、これに対して監査委員は結論的には請求を棄却したものの、その理由中で被告鈴木が条例改正手続を経ずに違法に職員の勤務時間を短縮したと認定し、更に原告が右監査結果を不服として本訴を提起したことなどから、昭和五五年一月旧勤務条例等は抜本的に改正され、新条例の委任に基づく規則で職員の勤務時間の割振りを原則として午前九時から平日は午後五時一五分、土曜日は午後零時一五分までと定めるとともに、新たに執務時間に関する規則が制定され、この中で執務時間は原則として午前九時から平日は午後五時まで、土曜日は午後零時までと定められ、これによつて旧勤務条例二条、三条をめぐる疑義は一応解消された。
以上の事実が認められ、<証拠>において鈴木決裁が勤務時間を短縮した旨の記載が見られる点は、職員組合側が条例の改正なしに勤務時間の短縮はできないことを承知のうえでした政治的発言の記載にほかならないと解されるし、<証拠>の中に鈴木決裁が旧勤務条例に抵触する旨の乃至旧勤務条例が執務時間に触れていない旨の記載や供述がある点も、旧勤務条例の解釈問題についての意見にわたるものにほかならないから、いずれも以上の認定の妨げにはならない。
(二) 右認定の事実によれば、まず、鈴木決裁は市川市職員の勤務時間(旧勤務条例二条一項本文により一週四四時間、同三条一項により平日午前八時三〇分から午後五時一五分まで、土曜日午前八時三〇分から午後零時三〇分まで。)を変更したものではなく、単に右条例で認められた裁量に基づき執務時間についての定めをしたにすぎないから、形式的に言えば、鈴木決裁が勤務時間を短縮したことを前提とする原告の主張は失当である。
しかし、市川市においては旧勤務条例以来、勤務時間と執務時間の用語が不統一に使用されてきたほか、形式的には執務時間の短縮にすぎない場合であつても、勤務時間と執務時間との差が長きに失し市民サービスの低下をもたらすなど勤務時間を条例で定めることとした趣旨が失われる場合であるとか、勤務時間から執務時間を差し引いた時間分(その長短を問わない。)について一律に職員の職務専念義務(地公法三五条)を免除する扱いをするようなことは、市長に委ねられた執務時間設定についての裁量の範囲を逸脱するものであり、本来条例の改正手続によるべき勤務時間の短縮変更を違法に行つたものというべきである。
そして、本訴において原告が主張するところも、仮に鈴木決裁が厳密な意味においては執務時間に関してなされたと解されるときであつても、それが右に述べたような意味において条例主義に反し実質的に違法である限り、その違法を追及する趣旨であると解されるので、この見地から検討を進めることとする。
(三) 前認定のように、市川市役所では昭和二六年の旧勤務条例制定当時から閉庁時刻は平日午後五時、土曜日午後零時であり、これを根拠づける明文法規は存在しないが、少なくとも慣行として確立していたものと認められる。そして、右の平日における閉庁時刻の点は、昭和三一年ころから毎年実施されてきた冬時間帯にあつては午後四時三〇分とされていたけれども、昭和四九年一一月一一日から実施された昭和四九年度の冬時間帯においては、他の季節におけると同様に午後五時とされたのである(昭和四九年度における冬時間帯の定めの趣旨とするところは、執務時間の終了時刻を他の季節と同様の五時とすることには変更を加えず、その開始時刻を三〇分繰り下げて午前九時とすることにあつた。)。
このように、昭和四九年度の冬時間帯までの間に、執務時間の終了時刻を遅くとも午後五時とすることは、市川市における長年の慣行として確立していたものということができる。
右冬時間の延長として位置付けられるべき鈴木決裁もまた、執務時間の終了時刻についてこれを変更したり、従前の慣行を積極的に追認するなど何らかの措置を講じたものでないことが明らかで、鈴木決裁は、勤務時間の終了時刻を変更したものでないことはもとよりであるし、歴代の市長の裁量に基づいて既に確立した慣行となつていた執務時間の終了時刻を当然の前提としたにとどまるのであつて、被告鈴木が作為的に閉庁時刻なり勤務時間の終了時刻なりを繰り上げその結果勤務時間を短縮したという違法事実は認められない(被告らが従前の閉庁時刻を踏襲したことが違法かどうかについては、後に触れる。)。
(四) そこで、開庁時刻の変更(繰り下げ)について按ずるに、鈴木決裁が昭和四九年度の冬時間帯として実施されていた執務時間(閉庁時刻を平日午後五時、土曜日午後零時としつつ、開庁時刻を午前九時とする。)を継続して通年化したものと位置付けられることは前記のとおりであり、冬時間帯以外の期間の開庁時刻を午前九時とすることは鈴木決裁によつて初めて実現したのであるから、右決裁の特色もこの点にあることは明らかである。しかし、右の鈴木決裁が、勤務時間の変更をしたものではなく、執務時間の短縮にすぎないことは、前に説示したとおりであるが、若干付言するに、確かに右決裁は勤務時間短縮要求を掲げる職員組合と市当局との交渉の結果週休二日制導入までの暫定措置の形でなされたことや条例所定の勤務時間数と鈴木決裁の結果承認された執務時間との間にはかなりの差が生ずること等の諸点に照らすと、鈴木決裁は勤務時間の短縮を意図してなされたのではないかとの疑いを容れる余地がないわけではない。だが、職員組合との交渉に当たつた人事課長らにおいて午前八時三〇分との旧勤務条例三条一項の定めは勤務時間の開始時刻であり市長決裁の形で変更できるものではないとの認識を有していたこと、市役所の開庁時刻の変更は性質上秘密裡になしうるものではないし、まして本件では鈴木決裁に先立つ昭和四九年度の冬時間帯移行の際午前九時開庁を市民に周知させる手段まで講じていること、週休二日制の導入時期については具体的な目途は立つていない情勢であつたこと、鈴木決裁後も職員の大部分は窓口開始のための準備時間を見込んで登庁するのが実際であつたこと等の前認定の諸事実に鑑みるときは、職員組合との交渉に当たつた市当局者は、職員の職務専念義務を免除して職員の拘束時間を短縮するという意味での勤務時間の短縮には応じることはできないが、既に昭和四九年一一月から実施されていた冬時間帯、即ち、午前九時開庁(執務開始)を継続し、かつ、午前八時三〇分以降午前九時までの登庁者については遅刻としない取扱いをすることは可能であるとの対応を示し、職員組合も、週休二日制導入の際の条例の大幅改正までの期間、完全な意味での勤務時間の短縮ではないが、勤務条件の向上と評価できる右のような措置をとることに合意したものと推認することができるのであつて、鈴木決裁の趣旨も市当局者の右の意向を受けたものと考えるのが相当である。
そうであつてみれば、鈴木決裁は、条例に定められた午前八時三〇分の勤務時間の開始時刻は変更することなく、ただ、午前九時までに登庁した職員は午前八時三〇分に登庁した者と同様に扱つて遅刻扱いとはせず、給与の減額措置もとらないことを定めたものであるが、午前九時までの間の職員の職務専念義務を一律に免除したのではなく、登庁した職員は午前八時三〇分以降午前九時までの間においても正規の勤務時間における勤務として職務専念義務を負い、上級職員の職務命令に服することが前提とされていたというべきである(なお、弁論の全趣旨によれば、市川市職員の中には消防署勤務の職員以外にも変則の執務態勢をとらざるを得ない職員や午前九時以前に執務を開始せざるを得ない職場の職員も相当数いたことが認められ、少なくともこれらの職員は鈴木決裁の対象から除外されていたものと考えるほかない。)。
右のとおりで、鈴木決裁は、条例所定の勤務時間を短縮したものとはいえないが、午前八時三〇分以降午前九時までの間に登庁した職員についても、右午前八時三〇分から実際の登庁時間までの間は、実際問題として職務専念義務違反を不問に付するほかないわけであり、この点を含めて前述の実質的観点からの条例違反の有無を吟味する必要がある。
そして、鈴木決裁が認めたものは、一種の出勤猶予制度といわれるもので、職員の福祉健康の維持増進というそれ自体としては正当な目的に出たものというべきであろうが、その態様の如何によつては職員の服務規律を弛緩させ条例所定の勤務時間を形骸化させるおそれがあることも否定できない。他方、窓口業務を開始するには、各職場により長短はあるにせよ、多少の準備時間を必要とするという実情は認めざるを得ず、勤務時間と執務時間の各開始時刻を同時と定めると、職員は準備に要する時間だけ事実上無給の時間外勤務を余儀なくされることにもなりかねない。したがつて、出勤猶予制度なるものは、厳密には脱法行為に類し、避けるのが望ましいけれども、場合により、その内容や実態に照らして社会通念上無理からぬものと認められる範囲に留まる限り、地方公共団体の長の裁量による措置として容認される余地もあり得ないではなく、その判断に当たつては条例上の勤務時間の開始時刻と実際の執務時間の開始時刻との差、設定された執務時間の開始時刻の妥当性の有無、通常必要とされる準備時間、職員の勤務実態、市民サービスへの影響度等諸般の事情を考慮すべきであろう。
本件についてこれをみるに、<証拠>を総合すると、市役所の窓口業務開始のための準備時間としては概ね一五分程度は必要であると認められるところ、条例上の勤務時間の開始時刻である午前八時三〇分から三〇分間につき出勤猶予制度を採用するということは、準備時間という観点のみから見るとやや長きに失するといえなくもない。しかし鈴木決裁当時近隣自治体でも午前九時開庁を実施していた例があること、鈴木決裁により通年午前九時開庁としたことに対し、本件訴訟及びこれに先立つ監査請求は別として市民から格別異議や苦情の申立て等はなかつたというのであり、これによれば、開庁時刻を午前九時としたこと自体は他の自治体との比較及び住民意識に照らして必ずしも不当ではなかつたであろう。また、鈴木決裁後も市役所の職員の過半数は準備時間を見込んで午前八時四五分ころまでに登庁していた等の前認定の事実からしても、旧勤務条例三条一項が定める午前八時三〇分の勤務時間の開始時刻が全く形骸化したとまで断じなければならないものではないし、鈴木決裁の影響で市川市の行政サービスが実質的に低下し或いは業務が停滞したことなどを認めるべき証拠も存しないところである。さらに、職員団体と地方公共団体当局との協定が尊重されるべきである旨の地公法五五条一〇項の立法趣旨も配慮に加えられるべきであろうし、市川市において鈴木決裁と基本的に趣旨を等しくする勤務条例の改正も達成ずみである点も、事後の出来事ながら重視されてよい。
ひつきよう、鈴木決裁に実質的違法があるという点も、これを肯認するに足りず、鈴木決裁が開庁時刻を繰り下げた点において違法であることを前提として、これを発した被告鈴木及びこれを踏襲した被告高橋につき故意又は過失に基づく責任を問うことはできない筋合である。
四次に、平日及び土曜日の閉庁(退庁)時刻に関わる被告らの責任について言及する(被告鈴木が積極的に閉庁時刻又は勤務時間の終了時刻を変更して勤務時間を短縮した違法事実が認められないことは、既に述べたとおりである。)。
市川市では、旧勤務条例上勤務時間の終了時刻は平日午後五時一五分、土曜日午後零時三〇分であつたが、昭和二〇年代後半から平日は午後五時、土曜日は午後零時が閉庁時刻とされ、右各時刻以降の退庁については早退として扱われないことが慣行化しており、被告鈴木の市長在任中及び被告高橋の市長就任後もその慣行が継続していたことは前に認定したとおりである。そして、閉庁(退庁)時刻についての右の従前の慣行がどのような経過で成立し、いかなる意味を有するかの詳細を明らかにする的確な証拠はないが、その意義を解明するには、鈴木決裁について吟味したのと同様に種々考慮の余地があり、少なくとも一見して明らかに条例上の勤務時間を短縮する違法な慣行と断定することはできないし、一種の職場慣行として確立している制度を改廃するには、それが事実上勤務条件の低下をもたらす以上、制度の再検討、職員組合との交渉等それなりに慎重な手続を要するものと考えられるから、被告らが従前からの慣行の是正措置或いは原告主張のような条例改正や給与減額のための措置を速やかに講じなかつたからといつて、かような現象面に表われた不作為の事実のみを把えて直ちに地方自治法二四二条二第一項四号の損害賠償義務を発生させる違法行為と断ずるのは相当ではない。閉庁(退庁)時刻に関わる被告らに対する損害賠償請求も、爾余の点について判断するまでもなく理由がないというべきである。
五以上の次第で、原告の本訴請求はいずれも理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官友納治夫 裁判官河村吉晃及び裁判官佐藤明は転補につき署名、捺印することができない。裁判長裁判官友納治夫)